フェリックス・ティオリエ写真展

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:展覧会

世田谷美術館にて。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
7/25まで。

第1章 肖像写真

フェリックス・ティオリエ《サン=ジェルマン=ラヴェル村のティオリエの孫たち》

サン=ジェルマン=ラヴェル村のティオリエの孫たち
家族の肖像も、集合写真以外は、わざとらしくない。交流があった画家の肖像も。
例えばジャン=ポール・ローランス。フランスの歴史画家など。
http://art.pro.tok2.com/L/Laurens/laurens.htm

第2章 パリの風景

19世紀、パリは猥雑から整備された美しい街並みに変貌を遂げる。
そして万博開催に伴い最先端技術である鉄鋼も建築に積極的に取り入れられてゆく。
その建築現場を納めたものが多数。
それは記録写真というよりも、ポジティブな未来への情景を写したもののようだった。
それ以外に、街にある伝統的な建物――ノートルダム大聖堂の写真も。

フェリックス・ティオリエ《パリのノートル・ダム大聖堂の怪獣像》

パリのノートル・ダム大聖堂の怪獣像
考古学を学んだとあったので、そうしたものへの関心もあったのだろう。 荘厳な尖塔アーチの高く太い柱を垂直に収めていた。 額装されているので、トリミングのためか、そもそもの写真がそうなのかはわからなかったが、その撮り方に感嘆。

第4章 工業化の時代

産業革命の時代。当時、燃料として重要な資源は石炭だった。その採掘現場も収めている。
私は公害問題に悩まされた時代の後生まれなので、石炭の山や煙を吐く煙突の写真には戸惑うのだが、ティオリエは炭鉱や工場で働く労働者をも牧歌的に撮っていた。それは一種の労働賛歌のようだった。

第5章 ティオリエが愛したフランス

都市の発展と相対して自然を求め南仏へ向かう人々。鉄道が敷かれ、避暑地観光がブームメントとなった時代。
ティオリエの写真はその世相を例外なく写し出していた。

フェリックス・ティオリエ《ヴェリエールの農場》

ヴェリエールの農場

同題の写真が2枚横並びに掛けられていた。
コルニヨン村のそばを流れるロワール川
違いはトリミング。向かって右の写真は上部を緩やかなアーチ状に、左の写真は水平に切ってある。
どちらが良いかは私には判断できなかったが、アーチ状のトリミングは自然の、森の雄大さを表そうとしているようだった。

どの写真も、印象派との関わりを感じさせる。
実際、それらは関係があることが指摘されているので言わずもがな。
会場には参考作品としてフランソワ=オーギュスト・ラヴィエ(バルビゾン派の画家)、ジュール・ブルトンの作品が展示されていた。

こうした肖像・風景写真だけでなく、草花等も接写していた。
使っていたものはゼラチン・シルバーガラス乾板(18×24)というもの。大型カメラを使い、植物を撮影…
あくなきその撮影への探究心に感心してしまう。
その表れとして、会場にはリュミエール商会との写真現像の問題点についてのやり取りの手紙が展示されていた。

そして興味深いオートクローム写真。
極彩色を楽しむためか、撮られた花。
その惚けた色彩は白昼夢のようだった。
今の高性能カメラにはかえって表現出来ない。

フェリックス・ティオリエ《ヴェリエールの教会の入口で居眠りをする聖歌隊の少年》

ヴェリエールの教会の入口で居眠りをする聖歌隊の少年
今回展示替えで見ることが出来なかった聖歌隊の少年の写真は、その赤が光を受けて輝いている。その光景への感嘆とそれを写そうとしたティオリエ意図を感じた。

19世紀の写真。
モノクロのそれらは見るものに色を想像させるためか、味わい深いものがある。
ティオリエは仕事を辞めた後、写真を学んだとあったので、撮影技術のノウハウというものは、その開発・普及当初から成立していたのかも知れない。
私は写真を撮るということが、トリミングが苦手なので、それへの関心から見ていた。
日常の何気ない風景の、その一瞬を捉える技術。
その研ぎ澄まされた感覚に、終始感嘆してしまった。

PVアクセスランキング にほんブログ村
大容量無料ファイル転送サービス【ACデータ】