幻想芸術展 2010

白黒イラスト素材【シルエットAC】
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幻想芸術展 2010

 終わってしまった展覧会感想。
国際幻想芸術協会(http://ifaa.cc/)の展覧会。
目黒・Gallery やさしい予感 にて。
http://www.yokan.info/index.htm

気になる作品(一部)についての感想。


アンドリュー・ジョーンズ"The Economy of pain"
大きめの油彩画は部屋の中央に掛けられていたので、否応無しに眼に飛び込んでくる。それだけの魔力のある絵画だった。
巨大な頭の人物像が同じくらいの首を抱え、その首の顔を見下ろしている。抱えた首は若々しく美しい面のヤヌスだ。その反対側の表情は老いており、食いしばりむき出しの歯からは鮮血が滴っている。
見下ろす人物像の顔は死んだ面で、ヤヌスとの対比が成されていた。
この苦悩、苦痛は何を謂わんとしているのだろう?
キャプションに書かれていた文章は、宗教画に馴染みのある私にとっては衝撃的にも感じるものだった。

空想の世界の楽観と無益な破壊の相反する側面を持つこのヤヌスの首は、そのような信仰体系の徒労を象徴する。ジョーンズにとっては、奇跡の到来などなく、衰退と混乱に対する究極の勝利のために支払った血と痛みの犠牲は無駄なものでしかないのである。

(G.T.Roche)

小山哲生《エロスの微笑》《水晶幻想》《香水幻想》
幻想的な意匠に包まれた裸婦像。
縄は描写されていないが、それらは緊縛のポーズだった。
その事に疑問を持ち、(画家ご本人もいらっしゃったので)話を伺ったところ、これは『"NO"のない女性』だそうだ。
緊縛のポーズである事を踏まえて、何物にも囚われていない裸婦達。
縄で縛られていない以上、これらのポーズは解放されたものなのかもしれない。
挑発的なその表情からも、抑圧されていない事を想像させられた。
この方は以前、銀座・ヴァニラ画廊でも展示会をなさっていたそうだ。
http://www.vanilla-gallery.com/gallery/koyama/koyama.html

中嶋清八《ドイツ箱の中の地獄》
標本箱の蝶はシンメトリーに羽根を広げている。
その羽根に沿うように配されているのは少女の群像。
左右対称にあるようで、よく見るとそうではない。
左右交互に少女達の眼は開閉している。
蝶の燐粉は蠱惑の象徴にされるが、それはこの少女達だろう。
アーティストブログに作品が掲載されていらっしゃったので、下記リンク。
http://53435481.at.webry.info/201005/article_4.html

加藤大介《砂塵のプリズナー》
眼と手と蛾の群れの中に、骨化した天使の姿がある。
天使はその群に囚われているのか、腐食しているのか、堕天使とも異なるその異形の魅力に、見ている方が囚われるようだった。
http://sistereurope.web.fc2.com/

Toru Nogawa"Lilith"
暗く輝くエメラルドグリーンの画面の中、ゴス服を纏う東洋人がこちらに挑戦的な眼差しを向けている。
背後の壁面には化石化した天使のレリーフ、足元に頭蓋骨、そして肩から顔を覗かせているのは白骨化した蛇だろうか。それらが死を匂わせている。
古の女神にして悪女となった女は今はこうした描写になるのかと感慨に耽っていた。
http://edengallery.nobody.jp/


このグループの事は以前から知っていたが、彼らの展示会へ行ったのは初めてかも知れない。

幻想美術の役目が現実世界で生きる力を喚起する通過儀礼であるという認識は大分定着しているのではないだろうか。
だが、それは幻想美術愛好家達の中だけなのかも知れないが。

50名近くの画家が参加していたが、そこに描かれているのは普遍的な性/生の衝動。
死や夢という相反した概念を通って沸き上がるそれを各々が描いていた。
かつては“個人の経験”の領域であると思われていたそれは、今や多くの人々が共有し、共感しているのではなかろうか。

それが幻想美術が万人のものとしての市民権を得たということなのか、飽和状態に陥っている事を指すのか、私には解らない。

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