エル・グレコ展
公式サイト:
http://www.el-greco.jp/
~2013/4/7まで。
私の好きな画家の一人でもあるので、楽しみで仕方なかった。
昔、《聖アンナのいる聖家族》の聖母の顔部分がトリミングされた複製画を見ていたので、魅かれるものがあった。全体像を初めて見た時、『これは正に良妻賢母だ』と漠然と思った事を覚えている。
内容は主に工房作の肖像画、そして大作が2枚。
エル・グレコの暗い画面に輝くような極彩色の人物、筆跡が残る画風は近代美術の先駆けである等、魅力は多い。
記録としての緻密な肖像画が多い中で、人物の内面も描こうと独自の画風を築いたエル・グレコ。
縦に長い人物像は、壁に掛けられた絵を人々が見上げた時に違和感が無いようにと考慮された結果だった。
不可視の領域をも可視化した。
1986年に国立西洋美術館で『エル・グレコ展』は行われていた。
その時来ていたものが再び来日したので、ようやく本物を拝見できた事も感無量。
《無原罪のお宿り》《受胎告知》などの大作については言わずもがな――
伸びあがるような構図の意図は前述の通り、人物、象徴物を目で追っていくと、自身も一緒に画面上に上昇するような仕掛けを感じる。
《オリーブ山の祈り》
受難を象徴する杯を持った御使い(天使)が現れる。
避けられないそれに戦くキリスト。
前景の使徒達との対比が印象的だ。彼らは眠っているので、この戦慄はキリストと見ている者だけが分かち合っている。
《瞑想する聖フランチェスコと修道士レオ》
地味な絵だが、私はこの絵が大好きだ。
瞑想に耽る静謐さ。
痩せた頬は磔刑のキリスト像を思わせる。
清貧さを感じさせる聖フランチェスコ像。
死を想うその姿に惹かれる。
折しも第266代教皇はフランチェスコⅠ世を名乗った。
今の教会が求める、或いはアピールしたい精神がここにある。
エル・グレコが黄金世紀の最盛期だったスペインに赴くのは必然だったと思う。仕えたフェリペⅡ世からは評価されなかったようだが…
敬虔なカトリック王だったフェリペⅡ世には、エル・グレコの独特な作風――人文主義(とその根底にあるギリシア神話などの非カトリック性を感じ取ったのか?)は抵抗があったのでは、と想像する。
トレドにある《オルガス伯の埋葬》には、死者の魂が赤子の形をとり、天の世界へと生まれ出でようとする、珍しい構図だ。
エル・グレコは自身の作品が、人文主義とカトリック、現実と幻視、神と人を結びつける階(きざはし)となることを求めたのではないだろうか。
排他的で、選民思想が強い国でもあるスペイン。
文芸復古の基盤の国・ギリシアから保守的なカトリック教義の国にやって来た彼は異邦人だった。
常に異なる世界に板挟みになりながら、その対立を繋げようとしていたのではないかと思った。
だが、時代を経てエル・グレコはスペインらしさを象徴する画家になった。
スペイン人にとって、エル・グレコとその絵画はどのようなものなのだろう?
今回と1986年のカタログには、同じフェルナンド・マリーアス氏が論文を寄稿していた。まだ斜め読みだが、神秘主義的な奇想の画家ではなく近代的な理性を持った画家であることを書いている。