ダンテ『神曲』のヴィジョン
ダンテ『神曲』を読み直そうと思っている。
文庫で構わないので、やはり手元に置きたくなった。
最近、関心があるゲームタイトルがある。
『DANTE’S INFERNO』
http://www.dantesinferno.com/
海外のゲーム。
タイトルからも言わずもがな、ダンテ『神曲』をモティーフにしたアクションゲーム。
何気に『神曲』は度々ゲームヴィジョンによく利用されている。
日本のもので『煉獄 RENGOKU』これは『神曲』の描く世界構造、特に煉獄・地獄をステージとしたアクションゲーム。
世界観の再現では外れるかも知れないが、『Devil May Cry』も数に入れて良いのかも知れない。名前とか。
何故、こんな話をするかと言うと、『神曲』が芸術家に、創作する人間に多くのヴィジョンを与え続けている事を改めて思ったからだ。
文章が美しい。
地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部から成り、全14233行の韻文による長編叙事詩。聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成。三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」で書かれ、次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式である。
『神曲』が書かれたルネサンス当時もさる事ながら、それ以降多くの画家が『神曲』の絵を描いた。
それは、ヴィジョンを与える文章であるという指摘の言葉を、以前何処かで聞いた。
有名なものでドラクロワ、ウィリアム・ブレイク、そしてギュスターヴ・ドレ。
今日、ギュスターヴ・ドレの版画を買った。勿論、主題はダンテ『神曲』。
ギュスターヴ・ドレはミルトン『失楽園』の挿絵も描いており、そちらも気に入っているが、今回は割愛。
O fond Arache! thee I also saw,
Half spider now, in anguish, crawling up
The unfinish’d web thou weaved’st to thy bane.Canto ⅩⅡ,lines 39-41
さて、このおどろおどろしい情景。
アラクネの姿に戦慄するダンテ、それを諫める詩聖ヴェルギリウス。
参考:アラクネ
ギリシア神話のアラクネ。女神との機織り対決で女神に敗れた名手。
最後は蜘蛛になった。
その変身譚をこの描写一つで表している。それも合成獣(キメラ)の描写となって。
ドレはそれをグロテスクで官能的、斬新な描写で表している。
油彩画でも主題として取り上げられるのは地獄篇が多いのは、その躍動感溢れる情景を描けるためではなかろうか。
深い悔恨や苦悩に身を捩る人間の姿。
細かな天使の群像や光の表現をふんだんに使うドレの天国篇も圧巻であるが、個々の人間の動きは煉獄・地獄篇の方が勝ると思う。
人々の苦悩する姿の魅力――
それは則ち“リアリティ”である。
だから画家をを魅了して止まないのではなかろうか。
ゲームに話を戻せば、アクションゲームで緊迫感があるのは“地獄絵図”の言葉に集約される状態なので、地獄は格好のステージになるのは言うまでも無い。
ゲームは結局システムが重要かも知れないが、そのステージのヴィジョンをどう創るかがゲームクリエイター達の腕の見せ所。
それも“リアリティ”を表現する。
トレーラーを見ただけでもそのクオリティの高さに感嘆する。
「ゲームは芸術になると思いますよ」
とは、大学時代お世話になった先生の言葉。
それを改めて思い返す。
ゲームが芸術となるには、まだ障害が多くあるのだが…それについては改めて。