至高なる風景の輝き――バルビゾンからの贈りもの
府中市美術館にて。
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/
2010/11/23まで。
西洋における風景画の転機であったバルビゾン派の絵画と、その影響を受けた日本洋画を通して、風景画の楽しむ展覧会だった。
バルビゾン派――
19世紀中頃のフランス風景画家のグループ。
印象派の画家も好んでバルビゾン村を描いていたが、バルビゾン派はもっと写実的で、ロマン主義的な表現をしている。
“印象”だけではない。
バルビゾン村には個人的な思い出がある。
フランスへ行った折、バルビゾン村へ行く日に風邪をひいて熱を出して動けなくなり、結局行かれなかったという。
そのリベンジ?を込めて。絵画を通してバルビゾンを見る事と相成った。
全体の感想
野外での写生にこだわりがあったというバルビゾン派の画家たち。
(全てを外で描いたとは思わないが)そのためか、キャンバスは小さめのものが多いような気がした。
当時の画家らが使っていた道具も展示。
外で描くための小さなキャンバス、瓶詰めの顔料、塗料、チューブ絵具一式、そして椅子と小振りなパラソルに、画家の努力を感じた。
深い森とそこに差し込む陽。光と影の強烈なコントラスト。
牧歌的でありながら、そこに自然の厳しさ感じさせる。同時に恵みをもたらす大地への情景を見る画家の想いが描かれていた。
作品感想
今回、私が一番印象に残ったのは、「羊」達の絵。
ミレー,ジャン=フランソワ《垣根に剃って草を食む羊》
羊の群はほとんど画面にお尻を向けている。やわらかさのある筆跡と優しげな光と影の表現、丸みの在る羊たちのシルエットの連なりが、安堵する印象を見るものに与えているようだった。
シェニョー,ジャン=フェルディナン《バルビゾン村への帰り道》
放牧を終えた羊飼いが、羊たちと共に村へと帰る姿。
バルビゾン村へと続く細道を連れ立って歩む、日々の労働、一日の終わりを感じさせる。
‘手前の一頭の目線がこちらに向けられ、帰らないか、帰ろうと誘われているかのようである’(キャプションより)
抒情的な絵画だった。
シェニョー,ジャン=フェルディナン《シコレ爺さん》
聖書のたとえ話を思い出してしまう。
キリストのたとえ話には羊飼いと羊が多く出てくるので。草を食む一頭の羊に優しい眼差しを送る老人の姿が何とも言えず、良かった。
‘人は過去も未来も大地とともにある。明日(の牧草)の恵みは天に頼らねばならない。そこに「祈り」があり、田園に人としての本源を見いだし描いている'(キャプションより)
羊以外について。
コラン,ラファエル《フロレアル(花月)習作》
緑の中に横たわる裸婦。白い肌の美しさに惹かれた。非現実的な描写もそうだが、マネ《草上の昼食》を、ふと思い出された。
http://art.pro.tok2.com/M/Manet/Manet.htm
私は印象派の風景画をあまり理解出来ない(勿論美しいとは思うが)でいたが、今回、このバルビゾン派を通して、風景画の魅力を認識できたと思う。