AFTERL-IFE WORLD
コロナ禍の影響もあって、どこの美術館も休館になってしまった……
残念だけど、その間に半年前の記事を絶賛消化中……
展覧会詳細ページ:
https://www.diesel.co.jp/art/mad_dog_jones/
渋谷・DIESEL ART GARELLYにて。
https://www.diesel.co.jp/art/
DMのサイバーパンク感あふれる、サイケデリックな色彩に惹かれ、足を運ぶ。
DIESELのファッションとも相性が良いであろう、ストリートファッション系の作品かと思っていたら、違った。
ネオンの光やそれを反射するビニールの幕が下がって、空間自体もサイケデリックな色になっていた。それは夜の繁華街、バーの内部のようだった。
リアルな東京が再構築され、あり得ない構造物や色彩になっている作品群。
私が普段生活している日常の風景はちょっと非現実な世界になっていた。
会場のキャプションにも記されていた‘サイバーパンクと大自然という相反する要素を巧みに融合させた’という世界観。「大自然」とは何か?それは‘ありのままの現実世界’という意味合いなのかもしれないと私は思った。
ギャラリーのキュレーター(スタッフ?)さんからは「都市もまた自然の一部」と解説を頂いた。人の営み、特に都市が人間により自然から切り離されたものと見なすのではなく、都市とは自然から“発生”したものであるという解釈だった。
人気のない街や部屋の内部。カタカナの長音文字が90°倒れていたり、昭和のこじんまりとした居酒屋とビル群。複数本走る高速道路を見上げるアングル……闇鍋じみた混とんとした世界に、魑魅魍魎のようにサブカルチャーのキャラクターが顔を出す。
キュレーターさんに伺ったが、上に掲載した写真の右下の2枚の絵にはストーリーが存在していた。
右側の絵の中の男(『AKIRA』の金田の赤いジャケットを着ている)と、左側のラーメンを食べている手の女(周りのアイテムから『美少女戦士セーラームーン』の月野うさぎを暗示させる)は付き合っていたが、破局した。男は階段の手すりに座り、落ち込みうなだれ何も手につかない。女の方は昂る感情をてラーメンをやけ食いすることで解消しようとしているという。
ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』は「千葉シティの空は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった」という有名な一節で始まります。電脳空間という「別次元」を舞台とした新たなSFの領域、」イメージを開き、SFのパラダイムを組み替えた作品で、文学としても一級です。
なお、同じ時代に、映画の世界では、ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作にしながらそれとは別物の異様な近未来イメージを提示したリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』が、やはりSFの新たな次元を開きました。
これら作品を始めとする八〇年代SFの多くが、「日本」をお気に入りのアイコンとして用いています。前近代から超近代までが雑然と同居する現代日本社会には、彼らの感覚にぴったりフィットするテイストがあるのでしょう。瀬木比呂志『リベラルアーツの学び方』p.397(電子書籍)
アジア特有の、所狭しと建物が並び、電光掲示板の光にあふれ、終始流される広告が溢れる賑やかさ。
しかし路地一本入ると喧騒が嘘のように無かったり、昔ながらの店があったり、稲荷神社など庶民的な信仰が残っていたりする。
端的に思いうかぶ過去と未来が交差して成り立っている現在を東京の街は体現しているように、今も見えるのだろうか?
去来する時間軸が混在するだけが、東京の街の魅力ではなくなったように私は思う。それは現実とファンタジーの混合だ。
“クール・ジャパン”と呼ばれる日本のアニメ作品は、低予算で作る子供向け媒体と思われていたアニメの概念を覆したし、日本国内の“サブカルチャー”の熱気――グッズや広告が溢れ、街の中に“当たり前のように存在するキャラクター達――は欧米では見ない光景だと思う。
こうした闇鍋じみたところが魅力のひとつではないだろうか?
私にとって、海外の作家さんが日本をリスペクトしてくれる作品が興味深いのは、普段何気なく生活している空間で気づかなかったものを気づかせてくれること、魅力を再認識させてくれることだと思う。
MAD DOG JONES(マッド・ドッグ・ジョーンズ) offical website
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