映画『シビル・ウォー/キャプテン★アメリカ(原題"Captain America: Civil War")』感想
公式サイト:
http://marvel.com/captainamerica(英語)
http://marvel.disney.co.jp/movie/civilwar.html(日本語)
大の大人が、友情からサシの殴り合いをしている映画だった。
若干のネタバレあり
カメラワーク / 近接格闘
カメラワークが魅力的だった。
『アベンジャース』『アベンジャース エイジ・オブ・ウルトロン(以下、AoU)』では、キャラクターの流れるような連係プレイが魅力的だった。
だが、『AoU』でそれが強化され過ぎると、反って“嘘っぽさ”が浮き出てしまったように私には感じられた……(製作サイドはこの匙加減にいつも神経をすりへらしそうだけど)
この映画では、キャラクター個人の傍に張り付いているようにカメラが動いている。
それにより近接格闘の臨場感、人間が演じている生々しさがあった。さらに手振れがそれを強くしていた。
一対一の勝負から連係プレイの一連の流れは今回もあるし、アクションの一部や超能力はCGだろう。それを気付かせないバランス感があった。
上記とも関連しそうだが、カメラワークと近接格闘はキャラクター間の人間関係も意識させる。
『AoU』がマーベル映画作品の同窓会化していた感があったので(もちろんそれは微笑ましいのだが)、1つの作品としてのめり込みづらいものがあった。
しかし今回の映画では、個人や対人間での心情やアイデンティティの葛藤とそれを強く意識させる対話が重く、緊張感があった。
その意識のぶつかり合いさえも、近接格闘に表現されていたのかもしれない。
以下、まとまらない感想群。
- 車よりも早く走れる人たち。カーチェイスではない、チェイサー
- ティ・チャラが口にする女神バステトと女神セクメトは古代エジプトの神では?
- 作中で『スター・ウォーズ』のタイトルを挙げられるのが、版権を持っているが故にできること。そしてそのオマージュプレイ(笑)
- マーティン!
- 全体的にガチバトルで硬派?な作中で、スタン・リー氏のカメオ出演……何処かと思ったら、終盤に。主役(違)はやはりトリにと決まっていたか(笑)
正義の行使
このエピソード、『シビル・ウォー』がマーベルコミックスの人気のタイトルであること(※1)、その原作そのままではないことが興味深かった。
原作そのままでは無いことは、大人の事情(※2)や、実写化シリーズであること、対立する2組の能力的なバランスを考えての事だと思われるが……
コミック版『シビル・ウォー』における内紛・対立の原因となるものは、アメリカでの超人登録法の施行――人権問題に起因するものだったが、この映画の「ソコヴィア協定」は国連が超人の能力を制限し行使するのを判断するというものだった。
コミック版同様、キャプテン・アメリカは反対派に、アイアンマンは賛成派になる。
自由度の低い協定である。
「政府」が判断するともなれば、国境を越えた時、不介入や行使に別の制限がかかるのは言わずもがな。その事を懸念するキャプテン。
兵器開発にも携わった経験があるアイアンマンは兵器や強力な力の行使に歯止めがかかりにくい事をよく知っている。それによる負の連鎖も――それ故に賛成する。
だが、どちらにしても、それで非戦闘員を巻き込まないように抑止できるか……
「ソコヴィア協定」の調印に関わる国家・ワガンダという架空の地名(※3)に「ウガンダ・ルワンダ」を思い出し、内戦と多くの犠牲が出る前に介入する事が出来なかった、国連が機能しなかった事(※4)を思い出してしまう。
マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』にも通じる。
人によって正義に求められるものは異なること――
最大幸福原理 対 基本的人権 ――多数の幸福のために誰かの人権を侵害するのは間違っている。
多様な社会の中で、何が道徳的に正しいかを決定することは出来ず、人はそれぞれ自分の善を自由に選ぶことができるべきだと。
しかし、人は他者と共にある。人間は「自由で負荷なき自己」などではなく、その社会の中で生じる「連帯の義務」を同時に負っている。
「ソコヴィア協定」がそのための中立策となるには、いささか不十分であったようだ。
あと一歩で人類滅亡になりかねず、それを止める事ができる存在(超人だの神だの人工知能だの)は人類とは違うので脅威と考えるのはMARVELのお約束である。
リアルっぽく考えれば、機能しない国連も「ソコヴィア協定」も、国家間の“脅威に対抗するための手段を用意していしている”というタテマエにすぎない。
善悪の判断、正義とは、力の行使とはいかに成すべきか、それを決めるのは個人の自由意志なのか、大勢の、あるいは国家や世界の意志なのか……
上記本にも通じる内容は、哲学の世界では常に論じられていた。
未だに答えの出ないそれ。「そんなものに答えは無い」というのも、また哲学的だ。
弁証法的なそのせめぎ合いの中から、その先(ジンテーゼ)へ行くことができるだろうか。
丁度、こういった問題について書かれた面白そうな本、畠山 創『大論争! 哲学バトル』が出ていて、その内容に通じるものがると思った。
古今東西の哲学者、文学者、世界に影響を与えた政治家などが、時代を超えて各々が主張した考えをもって特定のテーマについて論じ合ったらどうなるか――
審判がソクラテスという、さもありなんな設定からのディベートが興味深い。
この映画に関する明確な答えがある訳ではない。
ただ、「グローバリズムと愛国心、どっちが大事?」などの章と、映画の内容が共鳴する。
個人化するテロリズム / 友情 / 葛藤
被戦闘員・無関係の人々が巻き込まれ死んでいく。
大勢を救った中で救えなかった人々がいた事実とそこから生まれた憎悪。
それは死者、未来があった人の無念なのか、それとも生き残った者の怨みなのか――
今回の敵役は、かつて敵対した組織・ハイドラやその残党、たとえば同志の離反によるものではなかった。
彼は昨今のテロリズムの象徴だった。――犯行を行うものが国家や組織の一員ではないこと、動機がイデオロギーやナショナリズムではないこと等。
個人化するテロリズムは映画『007 スカイフォール』然り、映画でも言及されるようになった気がする……
一連の事件、シビル・ウォー(内戦)個人の復讐心に起因したものだった。
それは真犯人だけでなく、キャプテンアメリカ、アイアンマンそして両陣営共に。
特にキャプテン・アメリカ(とウィンター・ソルジャーことバッキー)とアイアンマンの間には、友情に関しての葛藤(とスタークには個人のトラウマ・復讐心)に集約される。
コミック版では市街地が戦場と化す等、多大な犠牲を払った後、決着が付く。
しかしこの映画はシビル・ウォーの分裂したままだ。それは葛藤の形の象徴となる。
キャプテン・アメリカが代表する自由は、責任が発生するものの人間はその全てを負う事ができない。
アイアンマンが象徴する制約は、必要だがそれは時に強制を招く(「ソコヴィア協定」の場合、国連の命で力を行使することも、逆に行使できない事もありうる)ことがある。
しかしその葛藤が、全てを破壊するものではない。
両陣営共にお互いに距離を置きつつ、「何かあったら必ず助けに行く」という、それでも友としての信頼・繋がりがまだ残されているという希望を残し、綺麗に終わる。
これが次の映画、『アベンジャーズ3』で窮地に陥ったヒーローたちへの救済や希望の布石なのか、そんなベターな展開にはしないのか、まだまだMARVEL映画の快進撃は止まらないのかも知れない。
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