ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:展覧会

ボッティチェリとルネサンス
公式サイト:
http://botticelli2015.jp/
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_botticelli/index.html
渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアムにて。
~2015/6/28まで。

ルネサンス三大巨匠(レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ)らに影響を与え、《ヴィーナスの誕生》《》を描いた画家・ボッティチェリ。
彼の作品と共に、ルネサンス期フィレンツェの経済発展を見た美術史。

どの作品も輝くような色彩、質の高い作品が多数来ていたので大満足。

以下、いつも以上に長い感想。


入って直ぐの所に、フィレンツェの通貨で、当時の世界通貨にもなったフィオーリオ金貨。(フローリン金貨と読んだほうが日本語では通じるだろうか?)
製造過程の紹介から、模造金貨(苦笑)まで。(当時は他国で国を上げて作られたりしていた……)
チラシにも使われているボッティチェリ初期の作品の周りにはそれが配されている。
‘この聖母子像は造幣局を統括していた両替商組合の注文で制作されたと考えられている(※1)’そうだ。
メディチ家の庇護(パトロン)によって、文芸が花開くことを予感させもした。
コジモ・デ・メディチ(1389~1464)によりメディチ家はヨーロッパ有数の大富豪となり、孫のロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492)はボッティチェリやミケランジェロを見出してゆく。
参考:『メディチ家』
http://www.gregorius.jp/presentation/page_62.html

芸術のパトロンになること――
聖書において高利貸しは悪と見なされていた。教会の権威がまだ強い時代、罪の意識があったと思う。
悪である職で得た金を美しいもの(聖なる御絵)にすることは、喜捨にも似た行為だったのだだろう。(単純に美しいものに囲まれていたいという思いもあるだろうが)
現在の企業のCSR活動の前身のようなそれ。
日本は……もうちょっと日本の文化に対して良いものを見出し、企業がお金を払ってもいいのかも知れない。
フランチェスコ・ボッティチーニ《大天使ラファエルとトビアス》
フランチェスコ・ボッティチーニ《大天使ラファエルとトビアス
交易でたらされた富。それを象徴するものとしての作品の中に「トビアスと天使」を主題にした作品が展示。
旅人の守護天使であるラファエルを描いたもの。
よく天使を調べると出てくるこの絵の本物を見れて嬉しい。
教会では「天使信仰」なるものを認めてはいないが民間には根強かったようなので、天使の絵は人気があったのだと思う。
聖書外典・トビト書に描かれるエピソードを元にしている。
旅先での非常事態に、家に残されたものは対処できない。自分の祈りが受け止められ、天使が遣わされ守護していると願わずにはいられなかっただろう。

この天使の一群が《受胎告知》や主題「聖母子と天使」像に繋がってゆく。
サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》
サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知
円パネルに描かれたそれは、天使が画面の中央に位置するようになっている。
大天使ガブリエルと聖母マリアが画面上、左右均等に配される傾向があるが、珍しいと思った。
参考:受胎告知の図像学
http://antiquesanastasia.com/religion/references/virgin_mary/iconology_of_the_annunciation/general_info.html

向かって左の遠景には、「トビアスと天使」が描かれている。
この作品では天使が主軸ではないだろうか?

サビーノ・ストロッツィ《受胎告知》
サビーノ・ストロッツィ《受胎告知》はガブリエルよりもマリアの方が画面中央にいる。
個人の礼拝用のこれは極彩色で、金もふんだんに使われ神々しい。光を受けて輝く事を想像した時、所有者が祈るとき天に祈りが聞き届けられたイマジネーションを得ただろうと想像した。

サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》1481年
サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》1481年
後ろに描かれているのはフィレンツェの裕福な家の寝室だろうか。天蓋が付いた豪奢な作りに思える。柱に施されたレリーフなど、素晴らしい。
これはパトロンであったメディチ家の意向を反映したのだろうか?
‘本作はシエナの病院が管理していた修道院に描かれた壁画であり、疫病ペストの猛威が収まったことを神に感謝して制作された(※2)’という。
若々しい天使像に、健康であることへの感謝と賛美を見る。

それにしても、聖母子像の多さよ……
小さめの作品であるため運搬しやすそうなので、企画展に多く持ち込めるという理由もありそうだ。
そして同じ主題である分、時代やパトロンの意向を垣間見て、比較・検証できる。

前述の、師であったフィリッポ・リッピの影響が残る《ケルビムを伴う聖母子》では、まだ伝統的な教義重視の形状(幼児が正面を向き祝福する手を掲げている)だったものが、次第に自然になっていく。
マリアとイエスを主題にしながら、その仕草は母子の穏やかなふれあいの一場面、人間的なものになってゆく。

サンドロ・ボッティチェリ《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》
サンドロ・ボッティチェリ《聖母子と洗礼者聖ヨハネ
馬小屋の飼葉桶の中ではなく、美しい薔薇に囲まれた空間の中で、聖母マリアが幼児化した洗礼者ヨハネと共に幼児キリストを礼拝している。

個人の礼拝の対象はキリストではなく、包容力ある庇護する“女神の一面”を担ったマリアに対する聖母信仰(と天使信仰)が強い。
それは教会の教義をはなれ個人的な解釈を強調している、つまり自由である。

そこに垣間見る、家族のあり方を考えてしまう。
私は父親不在という近現代に続いてしまった不完全さも見てしまう。
家族の寂しさと毅然としていようとする女の祈りがあっただろうか……?

パトロンであるメディチ家の衰退とサヴォナローラの台頭により、ボッティチェリの作風は変化する。
贅をつくすこと、享楽主義 退廃主義への反対は、ひいてはメディチの権力集中に対するものだ。
反発が起こるのは自然な事だったと思う。

サンドロ・ボッティチェリと工房《聖母子と6人の天使》
サンドロ・ボッティチェリと工房《聖母子と6人の天使
時代の空気を読んでか、華やかな作風が無くなっている。美しくも硬派だ。
前述の《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》と違い、固く目をつぶり瞑想する聖母。温かみよりも幼児の磔刑の未来を思わせる。あるいは浮世の憂いか。
参考作品として紹介されていた、別の女流画家が描いた聖人としてのサヴォナローラの絵からも鑑みると、清貧という本来のキリスト教を取り戻したいという社会の雰囲気もあったと思う。


サヴォナローラが宗教改革のルターの先駆者、フスと並び重要人物とされるのは時の権力者への批判を堂々と言い、行動したためだ。(現代を生きる私は芸術を焼くのはどうかと思ってしまう…)
サヴォナローラはメディチ家の権力集中に反感を持つ市民の指示を得た。だがその急進的な改革故に、時の法王からも反感を買い、処刑される。
因みに冲方丁原作のコミック『ピルグリム・イェーガー』には、このサヴォナローラやミケランジェロが出てくる。
フィクションだが、贖宥状(免罪符)をめぐる時代背景(ルネサンスから宗教改革期のイタリアの雰囲気)がよく分かる。
為政者の権力争い、金儲けにいそしむ地方の司教や、戦争で男手が足りなくなり街に溢れる娼婦、宗教差別…そして社会の問題を改善したい、新たな信仰の形を模索する人々の希望などが描かれていて面白かった。
今回の展覧会の背景を垣間見れる一冊として思い出された。
ピルグリム・イェーガー 1 (ヤングキングコミックス)
冲方先生、いつになったら続き書いてくれますか?

今回の展覧会はボッティチェリをメディチ家の盛衰とともに見る展覧会だった訳だが、詳細は下記の本が面白い。
展覧会でも紹介されていた、ヴァザーリ『芸術家列伝』を基に、面白おかしく紹介してくれる。
ボッティチェリとリッピ (イラストで読む「芸術家列伝」)

  1.  Bunkamura magazine
    木谷節子『Bunkamura’s view ――都市と運命を共に 華麗なるルネサンス美術で紐解く、15世紀フィレンツェの富と繁栄』
  2. 学芸員による作品照会コラム2 ボッティチェリ《受胎告知》
    http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_botticelli/column2.html
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