ブリューゲル版画の世界
渋谷Bunkamuraにて。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/10_brueghel/index.html
~8/29まで。
非常に充実、濃密な展覧会だった。
作品内容だけでなく、見せ方/魅せ方もわかりやすく、楽しませようとするものだった。
大人だけでなく、子供でも楽しめるように――
展覧会の主題がそうさせるのかも知れない。
有名な諺・道徳教訓を主題にしたも以外に、雄大なアルプス山脈の自然や聖書物語や寓意像、そしてブリューゲルだけでなく、同時代の版画も合わせて展示。
ブリューゲルの異色さだけでなく、時代も解釈できるのではないだろうか。
下記、一部の作品に関する感想。
アルプスの自然を描いたものは、その緻密な描写に圧倒される。
そこに紛れ込んでいる神話・聖書主題のモティーフが、それらをただの風景画にさせなかった。
《イカロスの墜落のある川の風景》
興味深かったのは、イカロスの失墜する姿。
ピーテル・ブリューゲル(父)[?]作と言われる油彩画《イカロス失墜のある風景》とは異なるイカロス像が描かれている。
版画のイカロスは失墜する瞬間、油彩画のイカロスは海に落ち、片足のみしか描かれていない。
参考:イカロス失墜のある風景(ヴァーチャル絵画館)
http://art.pro.tok2.com/B/Brueghel/z002.htm
また、父・ダイダロスが描かれているという大きな相違もある。
版画におけるイカロス失墜の構図は、この主題の典型だ。
これがいずれかの油彩画に発展したと思うと、なかなか興味深かった。
一番人だかりだ出来ていたであろう「第2章 聖書の主題や宗教的な寓意を描く」
ここでは宣伝に用いられていたブリューゲルが描く怪物達がいるので、注目を集めていた。また、ブリューゲルの絵には多くの“意味”が込められているので、それを絵解きすると長く足を止めてしまうのかも知れない。
注目すべきは「七つの罪源」シリーズと「七つの徳目」シリーズ。
特に「七つの罪源」シリーズは宣伝にも使われていた。
下記、配布プリントより抜粋。
《傲慢》
華やかに着飾った擬人像は孔雀を従え、鏡に映る自分の顔を誇る。左前景では頭脚人間(グリロス)が指輪を口につけ、同様のポーズをとる。一方、エキゾチックで装飾過剰な建物の内部では、華やかな外観とは裏腹に焚刑が執行されている。
《大食》
丸テーブルに座す擬人像は「大食」を象徴する豚を従え、ビールを鯨飲。前景右の原がはちきれてもむさぼり続ける魚、中景右で一輪車に自分のビール腹を乗せて移動する男など本能のまま暴飲暴食に走る姿の醜悪さが活写されている。
《嫉妬》
擬人像は右手で心臓(妬みの心)をタベ、左手でこの罪源を象徴する七面鳥を指さす。日本の「二足のわらじ」という諺のように、当時の履物は人の生き方を象徴し、ブーツを持つ人(金持ち)は羨望の対象となる。その気持ちは礼拝堂での隣人の立派な葬式にも及んでいる。
「第4章 人間観察と道徳教訓の世界」は“人間とは何か”を探求し、描いている。また、16世紀の人文主義的傾向でギリシア神話と人間世界が結びついていた。
《誰でも》
“誰でも自分自身を知らない”“最も長いものを得ようと引っ張る”という格言を描いている。
ランプを片手に自己探求する老人の姿。
その構図はタロットカードの「隠者」を思い出した。自己探求をするカード。版画ではその姿勢を皮肉っている。
ヒエロニムス・ボスの影響を受けた怪獣や独特の世界観を描く一方で、農村に暮らす人々を描いたブリューゲル。
どちらもそこに描かれているのは、人間の姿であった。
単色の版画だが、見ていて飽きない。飽きさせない。
緻密な描写と怪獣たちの魅力。
会場もブリューゲルの作品世界を再現することに力を入れていた。
今回、広告展開も面白かった。
「七つの罪源」シリーズのDM(手元には3枚)
怪獣たちを抜粋してプリントしたしおり。
作品解説を大判にプリントし、一つ一つの寓意の意味を解説したもの。
集めても面白いと思った。
いつも見る人を楽しませてもくれるBunkamura。
来年、改装の為閉館する。再び開館した時、どうなるのか、今後も楽しみだ。