《モナ・リザ》はどんなに切り刻んでも《モナ・リザ》だった
《モナ・リザ》については多くの著作があるし、あらゆる分野に関わる著名人が言葉を残している。
コラージュで以前「《モナ・リザ》を使って作る」という課題が出た。
私はこの課題に最初、驚いた。
先生は常々「《モナ・リザ》をコラージュに使うのは難しい」とおっしゃっていたからだ。
先生曰く、「誰がみても『これは《モナ・リザ》だ』と判かってしまう」からだ。
素材の、解体する前の全体像が容易に見えてしまうのでは、ただその素材へのオマージュになってしまうためだそうだ。
コラージュが既存のものをバラバラにし、繋ぎ合わせて新しいものを作るという、まるで錬金術のような作業なら、尚更だ。
先生は勿論、私達にそれを実感させるためにこの課題を出したのだが。
最近になって読み始めたコミック『GALLARY FAKE』にも《モナ・リザ》に纏わる話があった。
そこにも《モナ・リザ》の魔力について語られている。
「ここには、“世界のすべての目的が集まり来った”顔がある」
ウォルター・ペイター著「ルネサンス」(高階秀爾訳)のモナ・リザ評
古今の名画のうち、モナ・リザほど多くのコピーやパロディーを生んだ例はまれでしょう。その事実自体、この作品の不可思議な吸引力を物語るとは、言えますまいか。
『GALLERY FAKE』2巻「ジョコンダの末裔」より
私自身がコラージュして先ず思った事は『切り刻めない』だった。あまりに完成されているのだろうか?鋏を入れることが躊躇われた。
そしてどうにか切り刻んでも、先生がおっしゃった通りだった。とにかくどのパーツを見ても、これは《モナ・リザ》のものであると判ってしまうのだ。
《モナ・リザ》の手、《モナ・リザ》の唇、《モナ・リザ》の目、《モナ・リザ》の首筋…
個々のパーツからもその存在を主張するこの絵画。
せめて意表をついてみよう、と思い、東洋の器とコラージュしてみる。
先生に見て頂いたところ、
『こうして見ると《モナ・リザ》は東洋的な顔立ちをしているね』
人種を超える、《モナ・リザ》の魔力をまた垣間見てしまった。