ExLibris – 蔵書票とイメージ –
銀座スパンアートギャラリーにて。
http://www.span-art.co.jp/
1/30まで。
蔵書票というものに以前から関心を抱いていたのだが、蔵書票の展示会というものに行ったのは初めてだった。
そもそも蔵書管理の札がこうして展示会が催されるというのは、不思議というか、必然である気がする。
書物の所有権を主張するので、絵も独特のものが好まれるようになっただろうし、画家もそれに応えて趣向を凝らしたものを作っただろうし、手頃な印刷物としてのそれ故、安価で緻密な複製画としてコレクションする人も多い。
参考;『蔵書票とは何か』
http://pws.prserv.net/jpinet.Exlibris/jpinet.exlibys/exlibris.htm
最近気になる、中嶋清八氏の新作蔵書票が展示。
以前、山本六三の画集を見て、そこに掲載されていた蔵書表の緻密さ、美しさにすっかり魅せられてしまった。今回はその蔵書票も展示されていた。
気になる作品。
多賀新
《阿修羅ケンタウロス》
2009年の作品らしい作品。
三面六臂の阿修羅の下半身は馬体になっていた。合成獣の更なる結合はバロック的というか、しかしその姿に違和感を感じない自分がいた。
杉本一文
《No.179 創刻》
表現された造形も、題名も納得された。
大理石の中に横たわった女性像。今まで大理石の中にいて、掘り出されたようだった。まるで化石のように。或いは大理石の中から救出されたかのようだった。
それは私に『ソフィーの世界』の一文を容易に思い出させる。
昔、彫刻家が大きな花崗岩にとりくんでいた。彫刻家はくる日もくる日もこのただの石くれをたたいたり削ったりしていたんだが、ある日、小さな男の子がやってきた。「なにしてるの?」男の子がたずねた。「待っているのさ」と彫刻家は答えた。何日かして、また男の子がやってきた。彫刻家は花崗岩から一頭のみごとな馬を掘り出していた。男の子は、はっと息をのんで馬にみとれた。それから彫刻家にたずねた。「この馬がこの石に入ってたって、どうしてわかったの?」
(ヨーンスタイン・ゴルデル『ソフィーの世界』NHK出版 より引用)
アリストテレスの「形相」についてのたとえ話。それについては割愛。
林由紀子
《薔薇蓮祷Ⅴ》
薔薇に包まれた骸骨に抱かれる少女。典型的な“死と乙女”のイコノロジー。
《書物の誘惑 -謎-》
スフィンクス。砂時計などメメント・モリの系譜に包まれた幻想。
どちらも19世紀末美術の系譜上にある。エッチングに手彩という表現もその時代への懐古趣味を感じた。
中嶋清八
《水仙》
タイトルや蝶、鏡に写したような左右対称のような構図にギリシア神話のナルキッソスを連想するも、そこにあるのは女性像。
花言葉は“自己愛”この言葉がこの蔵書票の足がかりになるだろうか?
それらを抜きにしてもシンメトリックな構図は安定していて、魅せられる。
《球の中の天使》
両性具有の天使の大判の蔵書票が綺麗だった。完全性、エロティシズムを連想させる両性具有者(アンドロギュノス/ヘルマフロディトス)、飛翔、向上心を象徴する翼と御使いとしてのイメージは、書物の“知識の探求”に合っているように思えた。
中嶋氏ブログ http://53435481.at.webry.info/
中嶋氏の蔵書票は構図も安定していて、何だか安心する。
山本六三
《ヘルマフロディトス》
乳房と陰部を露にした人物。額装には2対入っている。
一つは仮面を外し足元に置き、一つは仮面を付けている。それ以外は同じ構図。
この額装は画家の意図であろうか。それとも画廊の意図であろうか。
それも伺えばよかった。
画廊の方と少し話をした。
山本六三氏の作品が、知名度も上がり、値が上がっているようだ。
昨年のBunkamuraでの展示会もあってか。
『山本六三展 - 聖なるエロス -』
亡くなってから出版された画集はもう手に入らない。
この時のカタログも貴重になるだろうと言われた。
今、兵庫県立美術館で『山本六三展-幻想とエロス-』が行われている。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/j_0912/yamamoto.html
行きたいが、兵庫…
日帰りでは難しいという話をした。
神戸新聞の文化のコラムに掲載されていた山本六三展の記事のコピーを頂いた。