クリムト、シーレ ウィーン世紀末展

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:美術鑑賞

 コラージュの先生からの薦めで行ってきました。
デパートでこの世紀末美術の展覧会があるとは知らかった…12日までということで、慌てて行って来ました。

クリムト、シーレ ウィーン世紀末展》

ウィーンの黄金時代を彩った画家たち。
19世紀末ウィーンー保守的な芸術を脱し、アカデミズムに訣別を告げた「ウィーン分離派」を中心に、絵画、建築、デザインなどの分野を超えて表現者たちが交流し、彼らの独創的な表現がウィーンを彩りました。
本展では、ウィーン・ミュージアム(旧ウィーン市立歴史博物館)のコレクションの中から、クリムト、シーレをはじめ、マカルト、モル、モーザー、オッペンハイマー、ココシュカらの選りすぐりの絵画約120点を公開いたします。

(髙島屋HPより引用)

デパート催物場での展覧会、規模が小さめだと侮っていたのだが、1200円分の見応えはあった。前言撤回。

第1章 装飾美術と風景画

エドゥアルト・レピーツキ《真実・知恵・美》他
金の背景の寓意像達。建築装飾の下絵であるそれは当時のウィーンの建築、美術、装飾の風潮を物語っている。ルネサンス、古典美術礼賛。このカテゴリーの一面である装飾美術と、クリムトに通ずる導入としては入口近くに展示されるのが妥当な作品だった。

レオポルト・カール・ミュラー《若いアラブ人の上半身(通称“召使いのハッサン”)》
召使いの肖像というのも珍しい。アラブ人…つまりはオリエンタリスムの作品だろうか。

“情緒的印象主義”というカテゴリーの画家が紹介されていた。印象派に疎い私…
テオドール・フォン・ヘールマン《フォンテーヌブローの森で》
オルガ・ヴィージンガー=フロリアン《積み藁のある夏の夕べ》
この2つはフランス印象派との関連を意識させた。フォンテーヌヴローはパリジャンの週末の余暇地として、印象派の画家たちが挙ってその風景を描いた場所であるし、積み藁の絵は印象派の巨匠・モネの代表作と構図が似ていた。一緒に描いていたのであろうか?

フェルディナント・シュムッツァー《愛》
屏風を思わせる横長の画面。横たわる裸婦の上を蝶が舞う。
蝶は即ちプシュケ、愛。そのままの寓意にオリエンタリスム思わせる金地に植物文様の装飾が美しかった。

シャルル・ヴィルダ《ランナーとシュトラウス》
華やかな社交界の一幕。
ヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス1世がワルツを演奏している。
踊る人々の上部で誇らしげに演奏する2人のヴァイオリニストという巧みな画面構成や、踊る女性のドレスの緻密な描写に惹かれてしまう。

その他、プラーター公園での人々の憩いの風景、風俗を描いたものが多数展示されていた。

第2章 グスタフ・クリムト

いよいよ、と言うべきか。
主にアカデミックな作品を描いていた頃のものが展示されていた。『アレゴリーとエンプレム』のための図案。
グスタフ・クリムト《寓話》
イソップ物語『ネズミとライオン』『ツルとキツネ』の物語を描いている。この絵が表しているものは“多様な民族的社会的集団の平和な共存の必要性”を物語っている。

『ライオンとネズミ』
ライオンがひるねをしていました。
そこへネズミが来て、ライオンの背中へのぼり、ちょろちょろ走りました。
ライオンは目をさまし、ネズミをつかまえて食べようとしました。
「お助け下さい。こんなちっぽけなネズミなんておいしくありません。わたしをゆるして下さったら、いつかかならず、あなたのお役に立ちますから」
ネズミはふるえながら、いっしょうけんめいにたのみました。
ライオンはネズミがかわいそうになり、だまってはなしてやりました。
何日かして、ライオンは猟師につかまってしまいました。
丈夫なロープの首わをつけられて、ライオンは逃げることができません。
(ああ、わたしの人生もこれで終わりだ)
ライオンがガッカリしていると、あの時のネズミがやってきて、するどい歯でロープをかみ切り、ライオンを助け出してやりました。
「ありがとう。おかげで命びろいをした」
ライオンはネズミにお礼をいい、それからなかよくくらしました。
このお話しは、どんなにつよいものでも、ときには弱いものに助けてもらわなければならない事がある。
と、いうことをおしえています。

『鶴と狐のご馳走』
意地悪好きの狐が鶴に「ご馳走するからいらっしゃい」と招待し、やって来た鶴にわざと平たい皿に入れたスープを差し出す。鶴はクチバシが長いため飲めない。それを見ながら狐はおいしそうにスープを飲む。
しばらく後、鶴は狐に「先日はご馳走をありがとう、今度は私がご馳走するからいらっしゃい」と言って、訪れた狐に細長い口の壷に入れた肉を差し出す。狐はクチバシがないのでそれを食べられない。それを見ながら鶴はおいしそうにクチバシで中の肉をつまんで食べる。

教訓:他人を傷つけた者は、いつか自分も同じように傷つけられる。

グスタフ・クリムト《牧歌》

グスタフ・クリムト《牧歌》

本物を見るのは初めてだった。白い肌の人物像は彫刻のようでもある。
ミケランジェロを思わせる、筋骨隆々な男性像。力強い描写に魅せられる。‘歴史主義的な慣習に従っており、ルネサンスの力強い語り方、モティーフの効果的な配置’がされている。

グスタフ・クリムト《愛》

グスタフ・クリムト《愛》

ようやく、本物を見る事が出来た。中学生の頃、文房具屋でポストカードを一目見て気に入った作品。
ゲルラハ出版の図案集のための作品であったらしい。
両脇にジャポニスムを思わせる金地に薔薇の花が象徴的に描かれ、中央には暗い背景に浮かび上がるように人物がある。上部には幼時から老年期にいたる人生の諸段階が表され、紳士に縋るような淑女の姿が下部にある。エロスを感じてしまう。
特注と思われる、シンプルな深緑色の額縁も含め、構成美に感嘆してしまう。

グスタフ・クリムト《パラス・アテナ》
http://art.pro.tok2.com/K/Klimt/vv003.htm
その驚嘆は言わずもがな。
ギリシア神話は昔から好きだったので、図版で初めて見た時、そのダークな描写に圧倒された。
ゴルゴネイオン(魔除け。ゴルゴン三姉妹、特にメドゥーサの首)は舌を出し、保守的な美術批評家に対する挑戦とも取れる。
画面向かって左下にある小さな女性像はヌーダ・ヴァリタス(裸の真実)。真実の寓意像。
真実と正義の守護、戦いの神であるアテナは分離派の神と見なされた。

もうひとつ、特筆すべき事といえば夭折したエルンスト・クリムト(グスタフ・クリムトの弟)の絵が展示されていた事だろう。
エルンスト・クリムト《宝石商》
グスタフ・クリムトの弟の絵を意識して見るのは初めてかも知れない。
金地に描かれた装飾的なリュネット(半円形絵画)
金細工師であった父の影響か、金の使い方と細かな装飾にどうしても魅かれてしまう。エキゾチックな古代の王族の女性に宝石商人が宝石箱を見せている場面のようだった。背景中央にヘルメス杖の文様がが配されたそれは、象徴主義的にも思えた。

第3章 エゴン・シーレ

シーレ…その不安げな世界観、自己探求の絵画はやはり、19世紀末における心理学の成立と心の闇の探求の時代である事と切っても切り離せないと思う。
生々しく歪で鬼気迫るその絵画に、最初は嫌悪を感じた事を今でもよく覚えている。
エゴン・シーレ《指を広げている自画像》
頭の直ぐ背後にある‘顔の形をした花瓶はゴーギャンからの引用’であるという。自我の二重性を表している。
画像参考http://art.pro.tok2.com/S/Schiele/z032.htm

エゴン・シーレ《心の痛み》《哀しみ》
黒の線だけで描かれた、座り込み、身体を丸めて身を守るような、或いは抑圧されたような人物像は、それだけで歪な心理状態を表していた。
下記にも紹介してある、ウィーン工房のハガキをシーレも描いていた。
モデルは妹。そこに彼の妹への執着、憧れ、要するに近親相姦を感じずにはいられない。

第4章 分離派とウィーン工房
メラ・ケーラー《ウィーン工房のハガキ、no.274》

メラ・ケーラー《ウィーン工房のハガキ、no.274》

マリア・リカルツ《ウィーン工房のハガキ、no.765》

マリア・リカルツ《ウィーン工房のハガキ、no.765》

ウィーン工房のポストカードデザインは、今でも通じるものが十分にある。
当時のファッションを描いたものはやはり女性に喜ばれたのではなかろうか。
今売っているポストカードの方針と何ら変わらない。
案の定、土産売り場のポストカードラックにしっかりと存在していたので購入。

コロ・モーザー《“フロメのカレンダー”のためのポスター》

コロ・モーザー《“フロメのカレンダー”のためのポスター》

黄色地に赤い髪、薄青い肌の女性像。写実的な人物像の色とは異なる色彩感覚の人物。油彩画も近くに展示されていたのだが、その薄紅色の肌の人物像とは明らかに異なる色使い。
正にポスター、“広告”という、目立つための機能を念頭に置いた色彩ではないかと思う。
ウロボロスに砂時計という、時の翁を暗示させる、あるいは象徴主義的な意匠に惹かれた。
カレンダーの広告なので、時を表しているという事だろうか?
参考:『インドの宗教にみられる生死観(2)インドの宗教にみる死のイメージ』3.時の翁 参照

第5章 自然主義と表現主義

マックス・オッペンハイマー《近代画廊の展覧会ポスター》
灰色の肌の男の胸元が赤く染まる。傷口に添えられた指も赤く染まっており、その色のコントラスト、状態に見る人は釘付けにされるのでは無いだろうか。
オスカー・ココシュカ?《血を流す人》をポスターにしたものらしいが、そのため模倣であると、また自傷行為の描写はふさわしく無いという理由から公開されなかったらしい。

またしてもだらだらと書いてしまった。
良い展覧会だった。会場も小さいのですぐ回れるのでは無いだろうか。
しかし、出品数が多いので、じっくり見られた。
他にも書きたい作品が多々あったが、知識不足で割愛…
これでも。
長々と失礼致しました。

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