ナタリー・ダウ写真展 Hide and Sex

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:個展

銀座・ヴァニラ画廊にて。9/12まで。

「Hide and Sex」とは、サディズムとマゾヒズムに対して現代の日本人女性が非常に特殊化しているということを前提に、彼女達の精神世界を多角的に検討しようという試みである。ともすると我々をも禁忌的な秘密裏の世界へといざなわんとするSMホテルの、あの特異な空間装飾に代表される「閉鎖的ユートピア」が彼女達の精神性と密接な関係を持っていることは間違いないだろう。ただし、それがあくまで提供されたものの上に成り立っていることは留意すべきで、そういった意味で彼女達は永遠の享受者であることは無視できない。現実よりも幻想の中で生きようとしている彼女(もしくは彼)達へ。ナタリーのメッセージは現実社会を逸脱した、きわめて個人的な《誰か》のために発信し続けられるものなのだ。

(ナタリー・ダウ写真展 Hide and Sex DMより引用)

Hide and Sex ナタリー・ダウ写真展/チラシ

閉鎖された空間は、様々なシチュエーションに満ちていた。
彩度の高い紫の、けばけばしい色の部屋。
病院の手術室を思わせる部屋。
遊廓を彷彿させる部屋。
お約束であろう鉄格子。

それらの中央に立つ女性達。
コルセットとガーターベルトは身に付けている。

被写体は東洋人であった。
それが意外だった。
同じ東洋人であるため、見ているとそれを身近に感じてしまうのだ。
写真家が西洋人なので被写体が東洋人であると、異国情緒を感じるのであろうが、私は日本人なので、そうはいかない。
私が感じたのは、赤裸々にされた秘密。

写真によっては室内がさらに個室に分かれており、その個室には窓がついている。
そこから連想されるのは、視姦。
それは個人の秘密の暴露。

しかし、異界のような感覚もまたある。閉鎖された非日常であるために。

青い光に照らされ、階段の踊り場に立つ女性像がそれを象徴しているように思えた。

縛るための綱が記録のように撮られていた。
日本と西洋のSMの傾向は異なるものがあり、日本は“縛り(拘束)プレイ”が主流で、西洋では“切り傷をつくるプレイ”が主流であると言う話を聞いた事がある。
東と西の文化の違いは、こういった所にも表れるものらしい。

会場では3D写真も展示。
遠近が表現された手術台から感じる圧迫感、危機感。
赤と青のメガネをかけて見るタイプ。そのためか、写真のセピア感が無いので、私は勿体無いと思ったが…
こういう表現も面白いのかもしれない。
映画が3D化を普及させているので、写真においてもこうした表現があって良いと思った。

ギャラリーのキュレーターと少しお話ができた。

この写真家さんは“hotel”をテーマに写真を撮られている方だそう。

余談だが、ラブホテルの写真集『ラブホテル―Satellite of LOVE』を思い出した。こちらでも様々なシチュエーションの部屋が撮られていたので。

今回の写真展は“SMホテル”という特化されたものが日本にある事に驚き、関心を持ち、撮られたのだという。

それを聞いて納得。
被写体が女性をグロースアップしているというよりは、空間そのもの、場の空気を写していた。
SMの倒錯、フェティッシズムな感覚よりも、それが行われる異界を表現している。

六本木にあるSMホテルが撮影場所だという。
何でも建物全体、全ての部屋がSMをするために特化された仕様になっている。
だからあれだけのシチュエーション…

生々しい現場写真というよりは、SMのヴィジョンを撮ったもの。
女性目線でのそれは、昇華されている。
精神性にピンを合わせているためだ。

被写体の女性達はフェティッシュのモデルであったり、SMのモデルであったり…
女性の写真家なので、被写体は女性が多くなるのだろうか。
男性像があまり表れていない。メンズスーツ姿のモノはいたが、顔を隠し性別が何処か不鮮明な印象を与えた。
最も、ここで“男性”がいたら、それこそ生々しい現場になってしまう。

洗練されたアートとなっているのだ。
グロテスクな部分が排除され、SMの極端な性をより特化させ、そこから感じる危機感を聖に近くした作品群。

SMを知らない私でも抵抗無く見る事が出来た。
暴力世界と言うよりも、アンダーグラウンド的なその雰囲気を感じる、見やすい写真展だった。

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