VANITAS 亀井徹画集出版記念展

白黒イラスト素材【シルエットAC】
JUGEMテーマ:個展

 新宿 紀伊國屋画廊
6月23日まで。

VANITAS

〈死〉の寓意に充ちたヴァニタス画の連作ほか約三十点の代表作を一堂に集めた幻想世界。

作品感想。

《想念》
白いキク科の花で出来た犬は人の眼を持っていた。暗い画面の中で、口から垂れ下がる赤い舌が生々しく輝いて見えた。
《力士》
今現在の土俵の上で活躍するそれとは異なり、引き締まった筋肉の青年像だった。古代風の髪の結い方のためか日本神話のような雰囲気で、 山本芳翠《浦島図》を思い出させた。雄々しくあるが、何処という訳でもないが女性のような美しさを感じた。
参考:山本芳翠《浦島図》

《小さい人(未完)》《小さい人》
一方は未完で、もう一方は完成されたものが2点、横並びに展示されていた。
青年裸体像の横に孔雀が描かれた構図は、ギュスターヴ・モローを思い出された。完成された方には青年像の足元に“小さい人”が3人いる。逆三角形の配置に取り囲むように。その周りに芥子の花。ボードレールでも名高い悪の華。眠りと死の連想は容易だった。

《森のくらし》

《森のくらし》
牧神サテュロスの如き人物像が横たわる。
鹿や水牛、鴨が集い、画面中央で行われている蛙と兎の相撲を観戦している。――と書いてみると何処か牧歌的にも思えるが、画面全体は密林をおもわせる暗い空間。蛙と兎は言うまでも無く『鳥獣戯画』の一コマだ。日本の湿度多い気候を考えると、開放感溢れる楽園よりもじわりとした湿気の中の異界の方が妥当だと思えた。

連作《花虫達》
10点近くあった同題名、同構図の《花虫達》
正にヴァニタス。
参考:ヴァニタス(虚栄)

《花虫達》

しかし、それらは静物で死を表すというよりも、抽象的な死を具象的なものにした印象が私には強かった。
以前書いた、『花―死―人』に通ずるものがあるようにも思えて――
頭蓋骨を中央に、覆うように花々、虫が集う構図はどれも同じ。
虫や花の種類が異なる。

キク科の花々、赤い薔薇、
花の中央には動物の眼、人の眼。
その眼に凝視されるのは――何かを問われているというよりは、示されている感覚になる。それは矢張り“死”だろうか?それが私には解らなかった。
あるものは時に満月は髑髏となり宙に横たわり、夜に舞うはずの無い蝶が飛ぶ。
別の髑髏の上を這う蝸牛にその粘質を想起し、腐食物、不浄、醜悪なものを連想する。
花の変容は次第に加速し、花弁は鍵爪のように鋭くなったかと思うと、遂には虫になった。
画面下部はどれも鏡のように研ぎ澄まされた地に虚像が浮かび上がっている。
世界がうつし世に過ぎないという意思の表れだろうかと夢想する。
一番大きなカンヴァスの《花虫達》その身体、骸骨の内に詰められたものは、内蔵ではなく花、花、花でした。

《くちなし》
「死人にくちなし」の駄洒落もあるが。先日仄めかしたと思う、あのくちなしの濃厚な花の香り。“むせ返る”という言葉が前についてもおかしくないと思うあの花。白い大きな花と髑髏の白さが合っていて、なんら違和感を感じさせない。

《浮島》
夕暮れの赤い空の下、浮島に座すケンタウロス。その顔は東洋人だった。直ぐ側には一輪だけアヤメが。
(ん?ショウブか?カキツバタでは…無いと思うが)
鵜、鼬、亀が側につき従うようにいる。
その光景は日本の高原・湿原の風景。妙に親近感が沸いてくるものがあった。

《阿修羅2》
先日『阿修羅展』に行ったばかりだったので、どうしても注視してしまう。
鍾乳洞の中だろうか。阿修羅と思しき人物像が座している。
六臂ではあるが、三面では無かった。その表情は思索に耽っている。
画面左には蓮の花が顔の近くまで高く伸び、光輪が描かれている。水が知識の象徴、蓮の花が釈迦の象徴なら、この阿修羅はそれに至る道を思案しているのだろうか。六臂はそれぞれ思索にふける人間のポーズそれぞれに思われた。

《妙連》
《阿修羅2》と同じ構図。しかし鍾乳洞の下部は蓮の葉で覆われている。
蓮の花が頭部により接近し、高くに輝いている。

《桜蓮》
赤い蓮、黄味がかった桜に囲まれた女性像。凛とした眼差しは何かを訴えているようだった。手には剪定鋏があった。そこから私はモイライ三姉妹・三女アトロポスを思い出す。鋏で人の運命・命の白い糸を断つ。

《言霊の幸わう国》
豪奢な帯を締め、薄緑色の着物を着た女性の周り、宙を舞う女達の首。
言霊なのだろうか。それは巫女の言葉だろうか。
美女と首といえば《サロメ》《ユディト》の主題。それとは異なる、同姓だけの世界。
これが一番印象に残った作品だった。

西洋主題を日本風に置き換えただけのものでは無いと思う。
暗い画面に浮き上がる世界は、日本に馴染み深い異界だと思った。

死は幻想なのだろうか?
生、生きる/活きる事は私達にとって、日常であり、陽の光の下にある。
人と人とが相対し、言葉を交す風景。
それに反する死は沈黙。
非日常へ行ってしまった者達で、真っ暗な土の下にいる。
生きている人間には理解出来ない。
だから死は幻想なのだ。
そんな当たり前な事を、改めて思った。

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