西條冴子 / シュヴァンクマイエル / シュヴァンクマイエル・トリビュート / 三上晴子

白黒イラスト素材【シルエットAC】

久しぶりのparabolica-bis
個人的には雑誌『夜想』の世界観に、西條冴子さんの人形はよく合っていると思っていた。それが現実になって感無量。

4つの部屋では、他の展示会も開催。
あえて予備知識を入れずに行ったら、シュヴァンクマイエルの原画展も開催されていた!!嬉。

西條冴子人形展/Fragilitas, tuum nomen est,

西條冴子人形展/Fragilitas, tuum nomen est,
公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/10/saeko_saijou.html
~2015/10/26まで。

いつも作り込まれた空間が印象的な西條氏の展覧会。 今回は金色の綱が下がっている。
それは綱ではなく、会場に張り巡らされた編み髪だった。 そこに『ラプンツェル』の物語を連想するのは容易だろう。
アンティークの家具、博物学的な小物、レースやリボンに囲まれたお嬢様の夢の部屋だ。
少女の人形があるためだけでなく、髪に女性性を強く意識させられる。

それは人形用の人工毛だが、“髪”と考えると呪物的な様相がある。 区切られた非日常に重みが増し、正に結界だと思った。
西條冴子人形展/Fragilitas, tuum nomen est,
会場の奥には隠されたように小部屋が用意されていた。 人一人がやっと通れる入り口の中には、表の会場とはまた異なる様相になる。
深緑色の壁に黒髪が張り巡らされているので、色白な人形たちの肌と、陰陽の対比を強くする。 鴉の姿、骨や柩、頭部だけの人形たちが置かれた隔離された空間は、隠蔽されたもの、見てはいけない暗い死を連想させる。
部屋に入ると、訪れた人は秘密を暴露した発見者のようだ。

壁の色味も相まって、小部屋でありながら深い森の中で迷うような感覚もある。
森に死のイメージを連想するものは、洋の東西を問わず何処にでもある。童話の中にも……『赤ずきん』『ヘンゼルとグレーテル』のように。彼らは森の中で迷って狼や魔女に遭遇し、限りなく死に近い所へ行っている。『白雪姫』もまた森に迷って死の淵に追いつめられていたようなもので、そこで7人の小人に救われるも、毒林檎を持った継母がやって来て仮死状態になってしまう。

この2つの部屋が織り成す二面性は、童話が持つファンタジーそのものだった。

シュヴァンクマイエル「ブリコラージュ」展

シュヴァンクマイエル・トリビュート/マンタム・ディレクション展
公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/10/svankmajer_bricolage.html

~2015/10/26まで。

シュヴァンクマイエル氏が挿絵を担当したラフカディオ・ハーン『怪談』と、彼の作品集『人形劇・虫・博物誌』の原画が展示されていた!

怪談

トリミングに感嘆する。
私は未だに、上手に使いこなせていないから……

ヨーロッパのアンティーク童話や教訓譚、或いは社会風刺や世相の挿絵版画から人物やその一部分が切り取られ、その部分から顔を覗かせる日本の浮世絵の妖怪たち。
妖怪の目や顔の部分のトリミングが一致しているためだろうか?元々が非日常の存在なので、多少欠けても違和感が無いというか……存在が馴染んでいる気がする。
本来居たはずの人物の痕から顔を覗かせている――
その表現自体、怪談話の本質をついていると思った。

以前、北川先生にコラージュが生み出す非日常性――既存のものを分解し再構築する際に必要とされるものについてお話を聞いた。
先生は「エルンストが相撲の浮世絵を使ったコラージュを作っていたが、日本人である我々から見たとき相撲はあまりにも身近なものなので、非日常的な雰囲気を感じさせない」といった趣旨の言葉とおっしゃっていた。

2011年 『魔術★錬金術 -ヤン・シュヴァンクマイエル、マックス・エルンスト、上原木呂展-』でその作品と思しきものを拝見した。
確かに、私が今振り返って思うのは、コラージュ作品である衝撃よりも“力士の浮世絵”というイメージしか残っていなかった……画面いっぱいの力士の姿は迫力があるので、当時の西洋の方々からすればよりインパクトがあったと思う。

その話を踏まえると、『怪談』のコラージュは日本の妖怪のなんたるかを理解したうえで、それを殺さず、和洋折衷で独自の世界観を再構築していると思った。


ヤン・シュヴァンクマイエル『人形劇・虫・博物誌』

人形劇・虫・博物誌』の原画は、シュヴァンクマイエルらしさ溢れる作品だった。
奇想の作品はアルチンボルドの系譜だ。

おそらくアンティークの解剖図や博物誌から、切り取ったパーツをコラージュして作った極彩色の手彩色版画。
パーツが本来持っている機能からかけ離れ、全く新しい生き物として存在する不気味さよ。
力強い色彩は、暗い死を払拭し、強烈な存在感を放っていた。

「シュヴァンクマイエル・トリビュート/マンタム・ディレクション」展

公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/09/sv_tribute1510.html
~2015/10/26まで。

同時開催で、日本人作家による、シュヴァンクマイエル・トリビュート展。

そこで、山内マリコ『かわいい結婚』の装丁をてがけていらっしゃった、M!DOR!さんの作品があった。
余談だが、書店でこの本を見かけた時、可愛さの中にクールさを感じさせる装丁に惹かれた……
この本自体は、私は読んでないけれど。
かわいい結婚

乙女心を擽る物語性のある、コラージュのトリミングや構成の上手さにちょっと嫉妬してしまった。

M!DOR!さんサイト
http://www.dorimiii.com/

Seiko Mikami Project v.1 「三上晴子と80年代」

Seiko Mikami Project v.1 「三上晴子と80年代」
公式ページ
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2015/10/seiko_mikami_project_v1_80_2015102_26.html
2015/10/26まで。2015/11/1まで会期延長。

彼女の活動について書かれた文章の中に‘不可視の情報と身体の関係’とあり、真っ先に『攻殻機動隊』を思い出してしまった……
実際、『攻殻機動隊』を含むアニメ作品のデザインを基に検証・制作された作品もおありのようだ。()

80年代という、いよいよ一般の人々にコンピューターが普及しようとする時代。
60年代に提唱されたコンピューターによる人間の知能増幅(汎用的な人間の補助として)がついに実現しようとしていた。

展示されている写真は、ミドリムシのような形状の機械化した単細胞生物のようなものを抱えている。
これハ人間の知能増幅、脳の拡張機能の姿だろうか?
形状からの私の勝手なイメージでは、どちらかと言うと生命体のように思えた。

作品の実物が会場にも展示されていた。
中の基盤は同じものが並んでおり、機能するものではないのが分かってしまうのだが、人工生命なるものが可能ではないかと想像させてしまう事に、人工知能に関する議論や様々な問題提起を想起させる。

まとめ

4つの会場はそれぞれに持ち味があって面白かった。

それらに全て関連性がもたれているわけではない。
でも何か、博物学的な資料が醸す世界観、球体関節人形とコラージュが持つ分解と再構築、人間の身体(生身が持つ情報の限界)と機械による拡張というテーマに、共通する物があるように思えてならない。
それは進化や変身、拡張機能によるヴァージョンアップという、飽くなき上昇志向の現れの片鱗のようなものだと思う。

  1.  阿部一直(山口情報芸術センター[YCAM])『InterLabの機能と存在から見たYCAM』
    http://artscape.jp/report/curator/10020798_1634.html
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