歴史の天使 アイ・ラブ・アート10 写真展
『歴史の天使 アイ・ラブ・アート10 写真展』
http://www.watarium.co.jp/exhibition/0903rekishino2/index.html
(作品が少し見れます)
写真は歴史でない歴史を生み、いわばそれは詩の生まれる場所であった。
この歴史の天使展では、ワタリウム美術館の写真コレクションを中心に、
20名の作家の作品を通して、天使たちの声に耳を傾けたい。
大きく変化する時代のうねりの只中で、ため息をついている我々に、
天使たちは、美しく、切なく語りかけてくる。
天使というものが、絵画や彫刻において愛くるしい、美しい存在である以前に、天使は光であり、伝達される言葉でもある…
写真は光学的に目の前の現象を記録する。そしてそれは社会に向けられる。
そう考えると写真と天使に関連性が見えてくる。
ふと、そんな事を考えながら、見に行きました。
いつも通り、気に入った、気になる写真の感想。
マン・レイ《浴室》
実験的作品のように思えました。
石膏像、ヴィーナスを思わせるトルソに走る光の跡。抽象的な具合が、何かを想像させます。
ルネ・マグリット『たくらみのない情景』
‘「言葉とイメージ」の問題を追求した作品’とあるだけに、哲学的であるのだろう。しかし私は“コラージュ”のイメージが強かった。
ここにある写真と、題名の言葉は、一致していないようで、している。
…最近コラージュについて考えてばかりだからだろうか。
《女占い師たち》
化学の実験室を髣髴させる場所に、2人の女性の視線。シュチュエーションと題名から、私はオカルトと科学の結合を想像する。
《女王セミラミス》
アッシリアの伝説の女王の名。
一枚の葉と水の入ったコップを持った女性の姿に、私の知る範囲で関連性は見出せない。しかし、それ故に惹かれるものがあった。
参考:セミラミス(ウィキペディア)
ロバート・メイプルソープ
‘絵画的要素を融合させた写真作品’とあっただけに、写真に詳しくない私には親近感のある作品だった。
カラーや蘭、チューリップを被写体とした作品。色彩のある写真もあったが、そこに写し出された花に、生花のみずみずしさとは異なるものを感じた。
モノクロの作品は、献花のイメージに結びつき、《チューリップ》の後に写っているテーブルと思しき白い横長の物体は、棺に思えた。
ダイアン・アーバス
《無題》髑髏の仮面をつけ、白いシーツを纏い、芝生に立つ人物像。
この世のモノとは思えない姿。病床の死のイメージが出てきた。
ジョエル=ピーター・ウィトキン
こういう作品は好みです。
赤裸々になった性というか、‘手術途上の性転換者、死んだ胎児等を被写体に、神話的イメージにまとめあげ撮影’している、醜と美が手を結ぶ世界。
《マリアを苦悶させる道具》のSMの様な世界観、《マダムX》のヴィーナスのように凛としたヘルマプロディトス、《ケヴェタの鳥》のハルピュイアのような肥満体、《ヴィーナス、牧神パンと時》《カノーヴァのヴィーナス》の古典絵画の構図を踏襲した作品…
こうしたものに、魅かれてしまう。
拷問器具、見世物小屋の醜悪なイメージ…見世物?
アレクサンドラ:
この進歩的な世界でサーカスだけが唯一の空間なのよ。木戸銭を払うだけで、「死を軽蔑する」ってことが無邪気に見物できるんですからね。ミヒャエル・エンデ『遺産相続ゲーム』より
ロバート・フランク《シートを被った車》
故人に掛けられた布のように見えてしまい、クライスラーの事もあってか、最近のアメリカ社会、不景気のイメージと直結してしまう。
永瀬正敏《TAKE 2》
映像作品。道を歩くというよりも、靴の上を歩いているように思えた。
ネバーエンドな作風は、フィルム故に表現可能な事だと思った。
ピーター・ビアード『ジ・エンド・オブ・ゲーム』より
象の後姿を撮った写真、ドキュメンタリーに映るアフリカゾウは、今は数が減ってしまった象牙の長い種類。
失われた記録になってしまっただろうか。なってしまうのだろうか。
絶滅危惧種、人種差別、欧米化の波に失われてゆくアフリカの文化――
社会を写した作品だった。正に記録。
ホルスト
流石ファッション誌の第一人者。美の追求、芸術性も感じる。《ココ・シャネル》の働く女性が上品に写された写真、古典絵画を現代技術に置き換えた《オダリスク》、《リサとハープ》は音楽の寓意画のようでした。
ジャンルー・シーフ
‘濃厚なモノクロ写真と広角レンズを多用して、視覚を意識的に超えた立体的な感じを持ったイメージを追求’した作品群。
ヌード写真はどれも美しい。《無題》の窓の外に突き出された尻、《鏡の中の女》は、鏡に映りこんだ女性を撮っているが、鏡や映し出された小道具は、女性性の象徴。全体が正に“女性的なるもの”だった。
ヘルムート・ニュートン《セキュリティー》
チェーンが付いている扉を挟んで、男女の駆け引きが展開されているような、緊張感漂う物語のある写真。
両者ともドアノブを掴んでおり、入る、入れないという会話があるように思えた。
ある特定の場所のその瞬間を、記録し別の場所に伝達するのが写真の役目であるなら、写真は歴史の天使と言える。
しかしその天使は、一体何処に、誰に向けられているのだろうか?
不特定多数の人間に?
見た人間に何かを残し、さっと飛び去っていってしまうように思えた。
そんな写真展。