映画『クラウド アトラス』感想
公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/cloudatlas/
この映画は素晴らしかった
カルマの物語。その一言で十分言い表せる。
6つの時代、6人の物語――「アダム・ユーイングの太平洋航海記」「セデルゲムからの手紙」「半減記 ルイサ・レイ最初の事件」「ティモシー・キャヴェンデッシュのおぞましい試練」「ソンミ451のオリゾン」「ノルーシャの渡しとその後のすべて」が相互に、影響しあいながら紡がれていく。
宣伝チラシには‘同じ魂を持つ複数の人物を演じ分ける’と盛大にネタバレ?が書いてあったが。
特殊メイクを駆使し年齢や人種、性別(!)も変わった役者たち。映画として、映像として面白い仕立てだった。
本当だったら役者も全て違う人間でも良かったかも知れない。だが、それでは輪廻転生は表現しにくくもなるだろう。
インド哲学のカルマ――業と訳されるものはバラモン教、ジャイナ教、仏教、密教…ヒンドゥー教にも影響を与えた思想だ。
解釈は各々異なるが、元はサンスクリット語で「行為」を意味するという。
各々の宗教におけるカルマの全てが盛り込まれているように思える。
細かなディテールに因果律が垣間見れるし、そこに人の繋がり、魂の連鎖が示唆されていると思う。
ボタンなどの小道具から城をはじめとする場所までも、脈々と繋がりがある。
それらは間接的で、物語の人物達は知る由も無い事だが、観ているこちらはそれに気付き、はたとする。
壮大な人類の叙事詩だった。
膨大な情報量を伴うものだったので……諸々の感想を得てしまった。その一部をしたためてみたが…興味のある方は以下に目を通して頂きたく……
人間
“人と人の間にあるもの”が、人を真に“人間”たらしめる。昔そんな言葉を聴き、凄く納得した。
この物語で、カルマの中で魂を鍛えるのは個々人の行為と人間の関係に因る事を意識させた。
トム・ハンクス演じる魂が最初は弱肉強食を説き人を欺く人間だったのが、“愛”を知ることで他者に力を貸し成長していく。
逆に人徳があるべき牧師の魂は人を搾取し遠未来では食人人種となっていた。
同じ役者が演じているからと言ってもそのキャラクター性まで等しいとは限らない。
それはキャラクターの人間関係さえも。
ある時は殺され、ある時は関わらず、ある時には協力しあう――
その中で個々の魂は成長していった。
これが今敏『千年女優』(http://konstone.s-kon.net/modules/ma/index.php?content_id=1)との違いだ。
その中で興味深いのはヒューゴ・ウィーヴィング(映画『マトリックス』のエージェント・スミス/笑)が演じるキャラクター。
彼だけは一貫したイメージがあるように思えた。特に“現在の秩序の維持”に関わる部分を担うところがある。
女装した看護師は「養老院のルールを守る(現状維持)」という理由があるし、暗殺者の背後には雇い主が利権を守ろう(現状維持)とする意図がある。
メフィストフェレスのようなオールド・ジョージーは猜疑心の象徴であるが、それが結果としてもたらすものも現状維持だ。
(それはエージェント・スミスとの関連も否定できない。)
東洋と西洋の思想の融合或いは共通項
この物語は洋の東西を問わないだろう。皆、納得できる仕立てではないだろうか。
多神教と一神教、輪廻転生と審判を経ての復活。
対照的とも取れる思想がこの物語の中では全て肯定されているように思えた。
東洋の思想は上記したが、脈々と受け継がれてゆく事はキリスト教の“魂の不滅”が言わんとしている事を的確に示しているのではないだろうか。
1973年に《クラウド アトラス六重奏》のレコードを聞いた時、初めてのはずなのに感じるデ・ジャ・ヴ。
それはユングが唱えた集合的無意識とも言える。
2144年のクローン少女・ソンミは反体制の革命家だったが、彼女の遺した言葉は多くの人々の心に響き、2321年には女神として信仰されていた。キリストのように。
涅槃 無限
1936年に老作曲家が夢で見た『皆同じ顔のウェイトレスがいるカフェ』。それは2144年のクローン少女・ソンミの物語だ。
2321年の食人人種は1849年の逸話にも繋がってしまう。
予知夢なのか、集合的無意識なのか、デ・ジャ・ヴなのか――
時間の感覚を客観視し、それらが相互に作用していると思う瞬間。
入れ子の物語はループしていると言うより、過去も未来も超越し無限(evermore)も近い感覚だ。
もしかしたらこれが涅槃(Nirvāṇa)の域ではないかと想像してしまう。
日本的なるもの?
カルマの物語とは言ってもインド哲学におけるその先、涅槃(Nirvāṇa)を目指している訳でも、輪廻(saṃsāra)を憂いている訳ではない。
インド哲学とは違い、カルマを肯定していると思う。
この思想は日本に見られるものではないだろうか。
人との関わりは目と目が合った「袖振り合うも多少の縁」から始まり、「因果応報」がある。
原作小説の作者デイヴィッド・ミッチェル氏が在日経験もある方のようなので……もしかしたら、そういったものに触れる機会もあったかも知れない。
映画と物語で重要な六重奏のタイトルになっている"Cloud Atlas"は直訳すると雲地図という事になるが、
オノ・ヨーコの元夫で日本人の作曲家一柳慧のピアノ曲「雲の表情」から来ているという。
世界という音楽
《クラウド・アトラス六重奏》は、この物語“そのもの”である事は言わずもがな。
1936年に書かれた《クラウド・アトラス六重奏》は幻の名曲となるが、同じ旋律を2144年にソンミ達が歌っている。
世界を音楽と例える逸話は多い。
インドの宇宙観ではシヴァ神は世界を音楽として踊り、西洋の教会にもよく描かれる《天使の奏楽》とはピタゴラスの“天上の音楽”から来ている。(実はこの2つの思想、オルフェウス教を介して繋がってしまう気がする)
核融合の話も出てきたが、これも無関係ではないように私は思えた。
全ての素粒子は固有の振動を持っている。
素粒子の振動によって核融合が起こり、物質は生まれる。
(音とはすなわち空気振動なので)この振動を音と喩えるなら、物質界、世界は正に音楽だ。
引用
『クラウド アトラス』で脈々と受け継がれているものは、その物語内で完結しない。
2012年、老人ホームで主人公が『“ソイレント・グリーン”だ!』と叫ぶが、これは同名の映画の事。
『ソイレント・グリーン』は人口爆発と高齢化が進んだ未来に、食糧難に陥った人類を救う食糧、ソイレント・ グリーンの原料は人間だった、というもの。
これは2144年のソンミの物語に通じる。
字幕版では老人が『運命共同体だろ』と言っていたが、元の台詞は"One for All , All for One “アレクサンドル・デュマ『三銃士』の名言だ。
語り継がれる物語の引用が、人間に力を与えることを象徴していた。
“Our lives are not our own.
From womb to tomb, we are bound to others, past and present.
And by each crime, and every kindness, we birth our future."
「命は自分のものではない。
子宮から墓場まで人は他者とつながる。
過去も現在もすべての罪が、あらゆる善意が、未来を作る。」
繋がりが紡ぐ物語は巨大な音楽となり、世界は奏でられてゆく。